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手紙の情緒
2006/01/08(Sun)
●最近のAPUって本当に寒いですね。そして強風に流されて、まともに前に歩くことができません・・。富山に帰った時に父親に「そんなに寒がりだったか?」って言われました。別府に来てから寒がりになったとです。明日は引きこもってレポート終わらせよっと。。

●さっきニュースで知ったんですが、ストレスが溜まっていたおじいさんの放火で下関の駅が燃えたそうです。山口県の下関駅には一度だけ行ったことがあります。去年の夏に青春18切符で富山まで帰っていた途中に、ちょうど下関駅で電車の乗り換えがあり、駅周辺を散策しました。旅の途中で立ち寄る土地というのは、案外にして印象が強いものだと思います。そしてそういった土地ほど、また立ち寄りたくなるものです。今回の事件で木造の駅がなくなったそうで、自分の中の思い出の土地が放火によって炎上してしまったのは寂しい気分です。

●去年お世話になった有機農家の百家さんと4回生の隼人さんから年賀状が届きました。どちらも同じぐらいの年齢(23ぐらい?)で、百家さんは写真付きで(年賀状に!?)元旦の結婚報告とまた耶馬溪の農園に来てくれよ~といった内容で、隼人さんも隼人さんでとても面白い内容でした。
そこで思ったのは「手紙」というのはとても貰ってうれしいものだということです。まず1つにメールと違い、手書きである点が良い。手書きの文字というのは人それぞれに特徴があって、文字の形が綺麗なのもあれば、男の人なのにかわいらしい丸文字の人もいます。どんな文字でもその気持ちがこもっているかどうかが分かると思います。次にメールと違い、時間がかかる点が良い。送り手は書いた手紙を、郵便ポストに入れて、それが郵便局で仕分けされ、局員の人が受け手のポストまで運んでくれる。この過程が行われてやっと手紙が届きます。近場でも1日はかかり、地元の富山であれば2,3日は掛かるのです。このように手紙に新たに価値を見出すと言うのは、メールという現代の情報社会を象徴するインターネットを媒介することで、空間的・時間的な省略がされることでの効率性に僕が馴れてしまっているからかもしれません。確かにメールももらってうれしい時もありますが、手紙には単なる文章の送信受信にはない「情緒」というものが見え隠れしているように思います。
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